2013年4月20日土曜日

Do the right thig ! 3 or 4 感動と行動は別問題

前記した哲学者で武道家の内田樹先生の本を今日も読んでおりました。
結婚を語られてる下りで、注目の一節

『結婚は損か、得か?』と考えること事体が消費社会の産物。

コレ、なるほどねと思いました。
そう言えば、私も含め今を生きる私達は物事の判断基準をすぐに
『損か?得か?』で判断している様に思います。

そして、この価値基準は多くの場合、快楽やエゴに委ねられ、
人を深い洞察世界には導きません。

もし損得で世の中のすべてが動いていて、それが真理で美しい事であれば
金持ちは善で貧乏人は悪という事になります。
現代思想よりも以前の 善悪二元論 での思考という事です。
良いか悪いか
損か得か
今の時代は、双方に良い所があって、答えなんてないという相対主義がメインの考え方です。
でも、相対主義って、すごく不安定なんですよね、答えがないから。
だから、人はやっぱり答えをまた求めるようになっています。
そのいい例が、ドラマや映画と言った物語。

一番わかり易い例は韓流でしょう。
とてもシンプル。明快な勧善懲悪。

まぁ、ストーリーの基本プロットに完全超悪のものは本当に増えていますね。
そして、こういった多くの物語りにおいて、金持ちは善で貧乏人は悪でしょうか?

逆ですね。金持ち(権力者)は悪になっています。

ドラゴンボールの孫悟空なんかは、私欲の為ではなく、祖父の形見のドラゴンボールを
探す為の旅をする中で、私欲の為に働く愚かな大人達を次々と打ち負かし、
最後は地球の皆に元気玉としてパワーをもらって、皆のヒーローにまでなって、
地球を守るという、清貧を良しとする勧善懲悪パターンです。

こう言ったアニメやSFで、
弱者=損してる人(金銭、社会的地位等) が 強者=得してる人(金銭、社会的地位等)
を打ち負かすストーリーに熱狂している人々が日本のみならず、フランス、アメリカ多くの国に
いるようです。
でも…現実の社会にいる自分の事になってしまうと、何故かすぐに強者の側につきたがるのは、
私も含め人間の哀しい性ですね。

ルークやヨーダに憧れてるのに、実生活ではダース・ベーターを恐れて
すぐに帝国軍に入って個性のない白いヘルメット被ったストームトゥルーパーになっちゃったり…

スター・ウォーズ以外で言うならば、のび太君が放っておけなくて、結婚を決意するしずかちゃんに憧れていたのに、実際はきちんとOLの後、安定した普通の男性を結婚の最低ラインにしちゃったり…

ラジバンダリ…(これは関係ないです。昔見たギャグ。フィリピンパブの女性の名前がラジバンダリで、話の途中で~したり、~したり、ラジバンダリ、といつも言うギャグを思い出してしまいました)

『結婚って…得ですか?』この質問のサブテキスト(心の内なる声)を内田先生が分析したところ
『結婚したいんですけど…迷ってて…確実に得だよっていう一押しがあれば決心できるんです!』
こんな感じのようです。

しずかちゃんは、損得を考えていない。だから彼女の行動は美しくうつるのでしょう。
これは無私とも言えますね。
でも人間、なかなか無私な行動は選べない。

ここで今日の主題   『感動と行動は別問題』

よく出来た作品は人を感動させ、少なからずその人のその先の人生や生き方に影響を与えるものです。古今東西、力のある作品は啓蒙的要素が内包されるので人々はそれをマスター・ピースとして長年愛し続けてきました。

では、今アニメに熱狂してる人達はどうなのかと思うと、ちょっと疑問。
それは感覚的に言うと、その人達に『身体性』が感じられないからです。

私から見ると殆どのアニメのストーリーの主題は『義』です。
己の損得考えず、友情の為、信じるモノの為、危険を顧みず敵に立ち向かってゆく主人公達。
作家ごとの応用はあってもヒットアニメ(漫画)は殆どこのパターンで

『ああっ、またコレね』って感じです。
(漫画は別ですね。多種多様でもはや文学と思えるものも多いです。)

で、こんなに『義』の表現=キャラクターの " 勇気ある行動 " 
に多くの人が熱狂してるのに、今の日本では『義』のある行動にお目にかかる事は
めったにない。

それは何故でしょう?
簡単です。
自分にとって損だと思う事には反応しない。
自分にとって得だと思う事には反応する。
反応した事に対しては人間行動します。好奇心が刺激されていますから。
反応しなかった事には人間行動しません。生きる上で、排除すべきものだと判断しましたから。

要するに、『義』のある行動の殆どが、ハイリスクノーリターンで、
損得で動く現代日本においては、反応しないでいた方が得策だと考えている人が多いという事です。

原発が良い例ですね。
原子爆弾を落とされ、尋常ではない同国民の命が奪われたと言うのに、
『五重』の防御があれば安全だ!という安全神話だけで、本当に安全だと信じるでしょうか?
もし、原発というエネルギーが、ハイリスク・ノーリターンだったら信じるでしょうか?
例えば、アメリカでは爆弾としてしか実験されてないけど、日本で原発実験したいから、
安全かどうかはわからないけど、ちょっとやってみろよ。
多少のギャラは払うからさ。
って言われたら…誰も安全だとは思わなかったはず。

損得的には、『全体的に損だな』と、企業家も冷静に判断したはずです。

でも、誘致には全く別の歴史がありますからね。
読売新聞に掲げられた『トラも飼い馴らせば家畜』という見出し。
正力松太郎が懐刀であるCIAの柴田を使って、どうにかアメリカから原発を導入させる動きが
あり、あれだけ原子力に対する恐怖心のあった国民に安全神話を信じさせるだけの
情報操作をしました。
マスメディアが第四の権力と言われるのがよく分かる一件ですね。
(これは話すと長くなるので、またの機会に。)

昔、学生運動の時代、高倉健さんのヤクザ映画が流行りました

『義理と人情を秤にかけりゃ~♪義理が重たい男の世界~♪』。

『義』というのは私見ですが 『本当はイヤなんだけど、ポリシーの為にはやるぜ!』って事で
冒頭に書きましたが、損得超えた、人の行動の内にある意識のあり方です。

映画のヤクザにしても当時の学生にしても " 行動の是非は別にして "
『義』の為にドスを血に染め、ゲバ棒や火炎ビンを手にしたわけです。
そしてその行動の背景には、実は愛する妻と子供がいて、本当はそんな事したくないのに
しなきゃならない…みたいなね。
そういう意味では、ヤクザ映画の流行と学生運動は同じカードの表と裏の様にも思えます。

で、今はどうかというと、感動はしてもその意識のあり方や行動を
自分の生活や活動に取り入りれず、あくまでも他人事として楽しむという在り方。
『ヤクザなう!』『ブルース・リー最高!』
呟いて…終了。
影響を受けて、風を切って歩いたり、タオルでヌンチャクしたりはしない訳です。
これが私流に言うところの『身体性の伴わない感動』。

今を生きるクリエイターは大変です。どんな名作だろうが、消費産物にされてしまうから。
勿論、芸術作品の良き理解者は必ずいます。
ただ、芸術は『損か得か』で言ったら、
金銭面では『得はない』
が、人生における豊かさという意味では『得である』
になる。
という事は、資本主義社会日本においては、金銭面での損得勘定がメインになりますので、
プロデュースの皆さんが、まずは芸術作品よりも、損得の得をとろうとします。
すると、どうなるかと言うと、
流行を追いかけている若い世代に合わせた作品になっていくのです。
あれよあれよと言うままに、戦後拝金主義から、今の現在日本の未熟さを良しとする文化の
背景が見えてきましたね。
要するに、未だに未熟な拝金主義に毒されたままなんです、人々は。

そりゃそうです。
終戦時、地に突っ伏して涙した時代から、まだ70年弱。
中国を見て、遅れてると感じてる私達の国はまだまだ立憲民主主義としては
非常に若い国なんです。

マジョリティは『流行ればイイじゃん』

クリエイターとして、俳優のアートを守る事を義を持って行動していこうと思います。

Do the right thing!



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