2013年5月27日月曜日

持つ生活と持たざる生活

本日、ラジオでまた東海村原発関連施設の管理体制に対する不備を伝えるニュースを聞いた。
つい最近は敦賀原発の下に活断層が走っているというニュースも、
そうだ、まだあった、高速炉・文殊のニュースも。
勿論、忘れてはならない福島第一原発の核汚染水の処理問題・・・

この所、次から次へと原発関連のニュースが出てくる。
私は基本的には原発反対派です。
理由は前記した様に『人間の力でコントロール出来ないモノは扱うべきではない』
と思うからです。まして管理体制がズサンなんて論外です。
核の放射能は目に見えないという意味で、中国の鳥インフルエンザと同じです。
事故が起こってからじゃ遅いのです。

私も大人ですから、感情論だけで『原発反対』などと言ってるわけではなく、
元々、地震大国で国土の下を縦に横にと活断層の走っている日本は、
何処に原発作ろうが危険な訳で、戦後、たまたま地震が少なかったけど、
もう確実に地震期に入った訳ですから、考え方を速やかに転換しないと、
エライ事になるような気がします(もうなってるけど・・・)

それなのに、安部さんはまたトルコに原発売ったりしたり何だり・・・
止めなさいよ、トルコだって地震国なんだから・・・
いくら中東の窓口だからって・・・

と前置きが長くなったけど、原発の問題もそうですが
人間が『もっともっと』と欲かいて出てきたモノに、
今、私達は自らの足を引っ張られているんではないでしょうか。

これ、とっても大切な考え方だと思うんです。

『今私達は自らの足を「もっともっと」という思いに今更ながらというか
 未だに引っ張られているんではないでしょうか?』

勿論、この『もっともっと』は良い方向に働けば
科学や文化・芸術を進化・発展させる訳ですが、
これがコト人間の所有欲と絡むと大体ロクな事がありません。

『過ぎたるは及ばざるが如し』
『唯我、足ルヲ知ル』ではありませんが、

我々、先進国の人達は『もっともっと』の『持つ生活』から
少しずつ『足ルヲ知る』の『持たざる生活』にシフトしないと、
イケない時期が来た様な気がします。

私は三十代後半に親と一緒に家を建てた経験があります。
デザインなども自分でこなし、住宅雑誌などにも取り上げられた
そこそこオシャレな広い家でしたが、部屋が幾つあった所で、
家族で集うのはリビング、ダイニング。
あと使うのは寝室兼自室のみで、他の部屋なんてそのうち物置になる。
客間なんか、民宿じゃないんだから使用するのは年に数回。
結局5年経ち、父親と二人で『いらねーな、こんな家』となり、
売却したという次第。

私の住に対しての結論

『夫婦二人までは1LDKで充分、子供、姑がいればそれぞれに+一部屋』と相成り候。

住に関しては広く豪勢な家に興味はなく(元々豪勢な家を買う程の金持ちではありませんが)
環境が良くて、気が良ければ、無駄のない小さな家で充分。
『持たない』方にシフトしました。

食に関しても、私は余り大食漢ではないので『もっともっと』ではなく
少量の好みのモノがあれば事足ります。

衣に関しても、一応、美意識はありますが、
基本的に機能的でシンプルなものが好きなので
お洒落に『もっともっと』はありません。

別に私のライフ・スタイルの自慢をしている訳ではないので
誤解なきようにお願いしたいのですが
私の家建築の例の様に、人間はフト気づくと周りに要らないモノ、
本当に必要じゃないモノに取り囲まれてるという事に対して考えたいのです。

ですから『もっともっと』と次から次へと所有を繰り返すのではなく
先進国の私達が少しづつ足ル事ヲ知ってゆけば、
原発の問題も違う転がり方するかもなと
かなり飛躍した論理ですが、私の頭の中では繋がっていたりします。

私達は、とりあえず飢餓死人口の少ない先進国の一つなのですから。
というか、世界の90%以上の国が後進国と言われている価値観の先進国なのです。

それに日本は僅か二畳の茶室に無限の宇宙の広がりを観る、文化の国ですしね。
そう言えば昔、退いた時の安部さんのキャッチ・コピー
『美しい国・日本』だったんじゃなかったけ?





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